日々、健康に憂いなく

こんにちは。

本日も、ご覧いただき

ありがとうございます。


さて、明日は暦の上では、

夏の始まりと申せましょうか、


二十四節氣の「立夏」

また「端午の節句」であります。


と申しまして、

不思議なものです、

明日が、5月5日であり、夏のはじまりの節目

と言われても、

天地自然の中のどこかに、そのように

刻まれているわけではなく、

「暦」、という人の営みのなかにのみある

年月というもの、

今様に言えば、カレンダーにしか見られない

という方が、趣旨がわかり良いかも知れませんが、

分刻み、秒刻みに進み行く

「時間」というものがあると思っている

それを、そう成さしめる、そうあると物証する

かのように、時計があり、カレンダーがあるということ

日時計や水時計、砂時計、ねじ巻き時計、デジタル時計

私達は、ものの動きの中に、その律動に「時間」を

見出してきた、とも言えるかも知れません。

しかして、その「時間」なるものは見えない。

木の年輪はその名のごとく、樹齢を教えてくれる

でも、何時何分に生えだしたか?

などとは教えてはくれません。


なぜ、今回はこのようなことを

言い出したかと申しましたら、

私達の、当たり前、常識というものは

自分たちが思っているほど当たり前でも、常なる事

でもないということの例として持ち出しました。


今流行の、新型コロナウイルスは

「晴天の霹靂」でしたでしょうか?

それとも、有り得べきこと

起こって然るべき事として観られたでしょう?


人と言うもの歴史のなかに

残っているもの、現代も続いているものの

中に、暦があります。

それは、観測を繰り返すことで紡がれてきた

知見であります。

節句というのは、陰陽道で用いられた区分のようです、

陰陽道は天文学であり、暦を司るもの

また、西洋占星術も、インドのヴェーダ(ジョーティッシュ)

マヤ暦、古代エジプトのシリウス暦、などなど

洋の東西を問わず、暦は様々存在している。


その根幹にある想いは

未来を知りたい、という欲求なのかもしれない

と思い至ります。

天文学ではなく、占星術という呼称には

占うということが入っていますし


「三国志」の諸葛亮孔明が

天候の観測をしていて、季節の変化に乗じて

策略を遂行する、というような例も

未来を予測していくということと関係します。


タネを蒔く時期とか

雨季を知るなど

予測できれば、それに備えることができます。

ゆえに、暦は人類になくてはならないものであり

暦は支配者にとって、もっとも重要なものとも言えます。


支配者というのは、

ファシストとか、圧制者、カルト教壇の司祭

のような暴虐なイメージが付いてしまっているかも知れませんが

字義からすれば、

支えて配るものですから、その差配をするもの

漢字の意味どおりに取るなら

給食係さんとか、修学旅行のときなどに炊飯器の一番近くに座った人

のようなイメージだとすれば、支配者は、まったく違う

イメージになります。


ここでは、たんに、リーダーという意味にしてみれば

天候を予測して、みんなの行動を差配するということ

それがリーダーの働きということです。


今、盛んに新しいリーダーが必要とされている

というような事が散見されています。

政治の停滞というような言い方もされているかも知れません。


確かに、リーダーは必要かもしれません

良き導き手なら、着いていって損はないでしょう。


しかし、本来的に、自らが進むべき道は

自らが決めて進まなければならない。


これからどうすればよいか?


誰か教えておほしい・・・。

と言っても、そうはいきません。


ついてくればいい、という人はたくさん出るかも知れません。

沢山のハウ・ツーが出るかもしれません。


でも、決めるのは、だれも変わってはくれません。

どんなに高度な予測でも、その通りに生きる

ことはできはしませんし、

そんなラプラスの悪魔みたいなモノも存在しません。


その上で、「神衣 - kamui」は

提案していこうと思っています。


自らが何者で、いかに生きるべきかを知るために

何が出来るのか?


愛する家族を守るために何が出来るのか?


何から守るのか?

それは、自らを自ら傷ましめること、

から守りたいのです。


要約すれば


日々、健康に憂いなく暮らす


ただ、ただそれだけにつきます。

贅を尽くした食事よりも

海外旅行や、レジャーやアクティビティよりも

動画や、ゲームや娯楽よりも


「日々、健康に憂いなく暮らす」


を優先する。


・・・なんて当たり前のことを

書いているのでしょうか?

自分でも呆れてしまいます。


しかし、それを実現するために

すべての知識、知見はあったのではないでしょうか?

時計も、暦も、何もかもです。


権力を恣にした

秦の始皇帝は、不老長寿を求めたと言われます。

物欲の果に、名誉の果に、権勢の果に

欲したのは、健康と長寿・・・。


人とは一体何なのかと、いつも思います。


さて、さて、

黄道十二星座をめぐる太陽が、牡牛座から双子座に

移行するのが、5月20日からだそうです。

牡牛座のテーマは、所有や土地など目に見えるもの

であり、

双子座は、情報や、学び、日常がテーマだそうです。


「神衣 - kamui」

では、学びを促進していくことも考えています。

心地よい衣服も、健康な水や食物も、

すべては

人としての学びをしやすくし

健康に憂いなく暮らすための糧となるように

と作り、集えているものです。


双子座に太陽が入る5月20日から

夏至まで、みなさんと学べるように準備をすすめています。


「千座神業」として、実践研究をすすめていきたいと

おもいますので、ご縁がございましたら

ご一緒頂ければと思います。


天地自然である、私達の姿を象る

その摂理は、既に常に働き続けています。


それを、自らをもって自らが知ること

それが天地自然の御姿から学ぶ(真似る)こと

だと思います。

そして、それがまさしく、

”カムガエル”

神そのものの法則性に帰ること


人に先んじて、独り占めすることを考える

というのは、カムガエテいるのでしょうか?


何がどこまで出来るのか

それはわかりません。

でも、憂いてもどうしようもない。


やれることをやれるだけ、やれるところから

すればいいだけのことです。


疲れたら、休むのが出来ることです。

天地は知らせてくれます、

今あるべきこと、なすべきこと、


天地自然である生命、

ともどもに彌栄ますように。


今回も、お読み頂き

誠にありがとうございました。


合掌















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