意識の大海に漕ぎ出す

こんにちは。[神衣ーkamui]の清水 晶です。

なぜ、おわかりの方が多い中で、名前を書いたかと

申しますと、音靈の響きが作用するからです。

おそらく、皆様はこの文章をフォトリーディングなど

速読で使われるように、ビジュアルで処理されていないで

頭の中で音読されていると思います。

音靈というのは、簡単に説明しますと、

一音一音に意味・働きがあるということです。

例えば、清水の「し」の音、皆さんどんなイメージでしょうか?

最近はどうか知りませんが、子供さんを静かにしたいとき

唇に指をタテて、「シー・・・」と言っていたと思います。

「し」の音には、静まる、という働きがある

”しずまる”は「し」で始まりますね。

”しずか””しじま”です。

とすれば、清水を読むと、静まるところから始まる。

「し」の音靈は、こころが深く静まる感覚を伴う、生み出す、作用する

と言えるかも知れません。

うるさいから、黙らせたい、だから、「ウルサイ!」とか

「ダマレ!」と怒鳴ってみても、心は静まらない。

言葉が廃れていく、というのは民族性の喪失でもあると思います。

深慮とか、おもんばかる、ということがなくなって

短絡的に物事を処理する、身体的には中心軸がなくなり

胆力もない、そもそも胆力という言葉が死語になっているかもしれません。

武道の稽古者でも、少なくなっていると思います。

もちろん、私も胆力が錬れているかと云われれば、まったく不十分です。


さて、静まってくると、感覚が研ぎ澄まされていく

遠い星からの語りかけにまで、身を耳をすませることは

なかなか出来ませんが、

占星術の知見をかりて、今日からおこることを

少し、考えてみたいと思います。


今日から、冥王星が地球からみて逆行しているように見える

時期にはいるそうです。普段の動きと反対に動いているように見える

ことを、逆行と称しています。

この時期は、冥王星と地球の間に太陽が入ることがないそうで

太陽によってかくれていた部分が顕になりやすい、

ということは、普段意識できていなかった部分

見えにくかった部分が現れやすくなるということですから

このタイミングに、いままで見ずに来たことを確認して

どういう自分になりたいかを問うていくには

とてもいい時期だと思います。


タイトルを「意識の大海に漕ぎ出す」としたのは

この時期に目を伏せてしまわないで、自分の実在、実状に

向かい合っていく、その決意を、自分に言い聞かすべく

表題といたしました。


私は、顕在意識と潜在意識や、無意識というものを

明確にわけて考えてはいません。

複雑すぎて分けられそうもない。

手の意識、足の意識、草の意識、石の意識

それらがあるとして、私の意識と言い得るものがどこかで

分けられるものでしょうか?

ですから、物事にあたるとき、接するときにあらわれる

自分の実状を知る。

それは語氣を荒げている自分に氣付くとき

そういう受け答えをしている自分を知るかもしれないし、

忙しさにまみれて、ささやかなことへの感謝を忘れているときかもしれないし

普段とは違うことに、喜びを感じている自分を見つけることかもしれません。


冥王とは、死をつかさどる、冥界の神さま

ハーデスと呼ばれたり、日本では、出雲のオオクニヌシの神様が

黄泉の国を司っていらっしゃる。

オオクニヌシの神様は、深遠な優しさを湛えていらっしゃます。


ですから、冥王星逆行の時期が

自分を責める時期にならないように、十分氣をつけて

自分自身の深い優しさの中に、これまでの自分を

認め、受け入れる、そんな感覚がいいのではないかと思います。


地球の表面積は、海の方が広いというのは知られたことですが

地球の体積からすれば、海の底には、大地があるわけですから

やはり、海よりも大地のほうが大きいとも言えます。


どんなに波が荒れ狂っても、それは地球という大きな

器の中の出来事です。

地球そのものである私達、ちいさな地球である私達も

同じく、どんなに表面的に荒れ狂っていても

しっかりした大地に根ざしていれば、

根本の優しさが失われているわけではないこと

一過性のことに右往左往するより

自らの真実を見出すための深く高い柱をたてること

を意図したほうが、最初は漕ぎ出す力が必要かもしれませんが

その意図が、想いが、マストとなって、順風を受け取る

航海へのいざないとなるのではないでしょうか。


今回も

お読み頂き、誠にありがとうございました。

弥栄を祈念致しております。


合掌

清水 晶 拝


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