ひしります まなびや
本日は、雨だれ唄うお天氣です。
草木を打つ音、石が、水たまりが、なるおと
重なり合う風情に、みとれます。
では、
先日募集を開始しました。
「靈知り益す」学び舎
について、
こちらにも書かせていただきます。
最後に募集内容も掲載します。
端的に、何をなそうというのかと
申しますと。
自分の事を好きになる。
ということです。
なんて簡単なことなのでしょう。
・・・
それとも、困難なことでしょうか?
私達は、自分たちのことが
分からなくなって久しい
故に、外部の承認、証明を
必要とするようになりました。
テストで、点数をつけてもらう、
通知表、勤務査定、人間ドック
血液検査、尿検査、血圧を測って
体重を測って、身長を測って
体脂肪をはかって・・・・、
平均的な
理想的な
所謂普通の
数値なら
自分のことが好きになるでしょうか?
逆に、そうでないなら
嫌いになるでしょうか?
あらゆる数値は
客観的指標ではありますが
内在的な指標
自らが自らを指し示すもの
とはならない。
私達は
数値化される対象として
存在しているわけではないということ
あら、難しくなりましたでしょうか?
そう、
私達は、科学万能とばかりに
物事を、詳細に測って、測って
きて、部分に分けて分けてきて
どんどん複雑な様相を表してきました。
ですので、
ごくごくあたりまえの
簡単で単純な
自分のことが好きかどうか?
という問にさえ複雑に答えようとしてしまう。
自分のことが好き
というのは
I like myself
ではありません。
あえて、
自分のことが好き
という言い方をしてきましたが
自分は自分であって
自分の事、というのは
いったん自分から離れています。
自分という物事があるという言い方です。
英語は、まず主語がくる文法です。
日本語は、主語が曖昧だと言われます。
客観的な自分があるということが前提の
英語にたいして
主客というものが曖昧な日本語
ゆえに、自分の事が好きかと問われても
そもそも、よくわからないのが日本人
外来思想の影響の強い場合は
自分のことが好きかと言われたら
YESかNOで答えられるように
思えるかもしれませんが・・・。
そも、そも
好きという漢字の表記が
好=like
という関係で考えると
中国(漢)語と英語
で、りょほう日本語ではないのです。
大和言葉ではないといえば
よいでしょうか。
好き、をスキ
素氣としてみます。
私は自分のことが素氣です。
変ですね。
素氣というのが
感情表現ではなくて
状態をあらわすようになったからです。
好きは、感情的ですが
素氣は、素っ裸の氣というような意味になるからです。
言い方をかえると
「素氣であることは好ましい」
と書けば、わかりやすいでしょうか、
”好きであることは、好ましい”
では、同語反復(トートロジー)
になって意味が成されません。
頭痛が痛い、みたいなことです。
子供のときは
自分のことが好きで当たり前だったはずです。
当たり前なので、そんなことをあらためて
考えることもない
自己評価とか
外部的な指標で
規定する、制限するということを
すればするほど、
ようは、人から好かれようとするほど
人がそれを好ましいとする指標に
合わせようとするほど
自分が外在化していきます。
自分の顔貌、風貌、みため、外に現れる
人に感知される要素のすべてが検案の対象になります。
顔形、背格好、声、髪質、話し方
立ち居振る舞い、服装、持ち物
ステータス・・・
きりがありません。
切れば、きるほど、断面は現れるからです。
素氣であれば
好ましくて当たり前なのです。
では
嫌いを、氣来としてみましょう。
氣はあるのであって
来るのではないとすると
押し付けられているというニュアンスに
なるかと思います。
嫌いなものは、来てほしくないのです。
でも、嫌いなものを
無理して好きになろうとする・・・・。
いやいやする、
我慢することはいいこと、
我慢するのは好ましいこと・・・、
どんどん変なことになります。
素氣から離れます。
素氣ではなくなります。
すっきりしません。
それなら、
もう外在化なんて要らない
客観性、科学なんていらない!!
と逃げ出せば、それでことは足りるでしょうか?
そうなると
この文章を書くことも
読んで理解することもできません。
あらゆる文章は
外部化された言葉、すなわち事象だからです。
ですから、私達がいまなすことは
科学を捨てることでも
自分を捨てることでもなく
りょうほう活かすことです。
私達は、そうとう複雑な概念操作を
できるようになりました、
しかしその弊害というか
反面、そのためには客観的な視点を
優先して生きなければならなかった
とも言えます。
主観を抑圧していれば、
それでいいのかと言えば
現状、現代人の様相をみれば
おわかりになると思います。
外部から抑圧されることは
嫌いなので、鬱屈してしまいます。
ようは、鬱になる。
ゆえに、
主客の調和を必要とします。
そのためのほうさくが
チャクラワーク
すなわち千座神業で、
靈知り益す学び舎
にて、お伝えしていくこととなります。
人から負担を強いられたら
押し着せられたら、それは抑圧となりますが
自ら、人の負担を背負うなら
誰かの重荷を持って手伝うなら
それは抑圧とはいいません。
重荷を持っていることには
かわりありませんが
全く違うとも言えます。
私達が自らを生きるということは
誰かに押し着せられた役割を生きるのではなく
スッキり生きる、あるがままに生きる
ということです。
無条件の愛といいますが
自分自身に、たくさんの条件付けをして置いて
それでも愛するというのは
自作自演が過ぎます。
あるがままに愛するというのは
条件を付けないこと
と言ったほうがわかりやすいと思います。
無条件の愛とは
愛することに条件をつけない
ということです。
素氣であるとき
愛があってあたりまえ
当たり前過ぎて
価値を感じなかったもの
価値の対象とする必要のなかったもの
失ってわかるもの
なくなって分かるもの
を私達は知ったはずです。
一口に言えば
素直であることの尊さです。
では、
「靈知り益す」学び舎
ご一緒頂ければ、有り難く存じます。
今回もお読み頂き
ありがとうございました。
彌栄ましませ、イヤサカマシマセ
以下、募集要項です。
◆「靈知り益す」学び舎◆
募集内容です。参加費はドネーションです。
(リトリート施設のための
ご支援として活用させていただきます
ご寄付大歓迎です)
■ご連絡先:meikyou369@hotmail.com
フェイスブック、メッセンジャー。
◉募集期間5月19日まで
※途中参加の可能性の在る方も
事前にお伝え下さい。
※星読みHiroko先生のホロスコープ
確認は5月18日までにお願いします。
(生年月日とわかれば、出生時間、出生場所から割り出します)
開催予定日程は
●5月20日、開催説明16時頃からの予定、適宜終了
◎5月23日(土曜日)16時から18時
(ご希望あれば、24日、日曜日も同じ内容にて)
○5月27日(水)途中経過確認 16時から適宜終了
◎5月30日(土曜日)16時から18時
(ご希望あれば、31日、日曜日も同じく)
○6月3日(水)途中経過確認 16時から適宜終了
◎6月6日(土曜日)16時から18時
(ご希望あれば、7日、日曜日も同じ内容にて)
○6月10日(水)途中経過確認 16時から適宜終了
◎6月13日(土曜日)16時から18時
(ご希望あれば、14日、日曜日も同じ内容にて)
○6月17日(水)途中経過確認 16時から適宜終了
6月20日夏至頃 土佐清水合宿
※夏至に、奉納式への参加の場合、別日となる可能性があります。追って調整ご報告致します。
という予定です。
なるべく、録画して、時間の合わない方には
ご覧頂けるようにするつもりです。
日曜日にご希望の場合など時間の調整を
出来得る限りご対応いたします。
内容は、実践のための内容説明と
皆様とともに、実践形式で稽古するという
ことを致します。
同じ志の在る方があつまることで
ハーモニクスが起こります。
共鳴共振して、増幅されるということです。
自らの感覚に深くコミットする、
自分自身を感じることへの抵抗を
なるべくスムーズに消化して自由に
なっていく、そのための援助となるように
構成されます。
トリビア、ブレインキャンディとなるような
情報や、制約となるような事をお伝えする
ような講座ではありません。
外部的権威を付与するようなこともありません。
実践される内容は
生活ということばで括れます。
感情生活、健康生活、社会生活など
自分自身の感情との関係(他者との関係に現れる)
身体との関係
社会(仕事)などとの関係
を通じてフィードバックされ検証されることになります。
何かを覚えるだけということはありません。
(チャクラマスターの皆さんは御存知のとおりです)
ですから、実践はもちろん強要ではありませんが
実践されないなら、効果は当然ないということになります。
ほとんど、説明よりも実践稽古に費やされます。
そのため、各回二時間程度です。
レファレンスとして、情報共有
ある程度の参考資料はご提供いたしますが
ほぼ不要であろうと思います。
自分専用の取り扱い説明書はどこにも
売っていませんので、実践あるのみです。
では、日時、またお支払い方法などの
ご相談にも、対応致しますので
メッセージにてお問い合わせ下さい。
※しばらく、お返事おまちいただきますこと
ご了承下さい。
では、よろしくお願いいたします。
合掌
0コメント